日本の幻視者、カミロ、ルチアへのメッセージ(祈る時はひざまづきなさい。)

2023, 2. 4

初土、14:52〜

(主イエズス)

カミロ、わが使徒ミカエルよ。私は天の王、人の王、全てのキリスト信者の長イエズスである。

 

私は今日この場にいる我が愛する子供達を祝福する。

✝️ 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 

私はこの日の本の子供達の全てに願う。

それは、まず1つ、祈る時は跪くこと…。これは、古の昔からあたり前のように行なわれていたことである。

人が何か天へ願うとき、頼みごとをするとき神の御前にて祈るとき、あたり前の行為であった。だが、今の子供達は何となく、イスに腰かけて祈る動作をし、心のない己が自身の思いのみを願う者が増えているのだ。

そして、その願いが叶わない時は、別な偽りの神へと走るのだ。己が自身の罪の償いをせず、なぜ、己が自身の願いが叶うと思うのだろうか。

 

なぜ、己が自身の罪の償いをせずにいることが出来るのだろうか。

 

今一度、自身を見つめ直し、そして.心からの痛悔.償いをして、自身を清めなければならない。

 

常に己が自身を見つめ、罪を見つめ、自身を変えなければならない。

そして、もう一つだが己が自身が愛を示すことである。

 

己が目身の欲ではなく、そして見返り求めるのでなく、常に心からその者達に愛を示すこと。

同時に周りの人々への愛を見つめ直すことだ。

だが、今の者達、子供達は自身のことにのみが満足出来れば良いと孝えているのだ。

 

あなた方は神の子であることの自覚に目覚めなければならないのだ。

いつまでも、サタンの良い様にされてはならない。

祈りなさい、祈りなさい、神の憐れみを求めて、祈りなさい。

 

あなた方の罪が許される様に祈らなければならない。

そうでなければ、あなた方は悲しむべきことだが、サタンと共に地獄に落ちて永遠の苦しみに喘ぐのだ。

 

そうならないために昔から天が、あなた方へ警告を、導きを与えてきたのだ。忘れてはならない。

神は在るということを。

本当に神はいるのだということを。

 

私はここにいる愛する子供達を祝福する。

✝️ 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

 

カミロ、ミカエル・カミロよ、あなたへの個人的なメッセージは又、後に与える。

 

祈りの、この祈の集いを守らなければならない。

又、会うだろう。

 

 

 

2023.2.5
06:05〜
(主イエズス)
ルチアよ、私は天の王、天の御一人子、至聖なるイエズスである。

カミロへのメッセージは良く聞き取れているとそう伝えよ。
そうなのだ。祈るときは、身を正さねばならない。
跪く事を第一としなければならない。
天にいる聖人達も祈るときは、跪くのだ。
まず、第一にへりくだることを表すのだ。
わが至聖なる御母も祈るときは、常に跪き、身をかがめ祈っているのだ。そうでなければならないのだ。へりくだること…。
それは、天へ乞い願うことを意味するからである。

この日の本には昔から正座がまず第1であるはずである。
その形でもよい。

この日の本の国の教会には跪き台が取り払われているが故、椅子に座るという事になる。
跪き台がなければ、その場に跪いて祈れば良いことだが、この日の本では、してはならないということになっているが故に、そうなるのだ。

体に支障がある者に関しては椅子が使われるのだ。
膝が痛いのなら膝にタオルなり、クッションなどを常に持ち歩き祈ればよいだけの事である。

今は何も教えぬ故にこのようなことが起こるのだ。

だが咄嗟の時あなた方は跪くのだ。自身の守りの為の祈りの時はそうなるのだ。
つまり、自身を罪人だとは思っていないのだ。
天の私達と同じだと思っているのだ。とても悲しい事である。
わが聖変化の時ですら、跪く事を忘れたのだから…。
この事がどこまで伝わるか…。
だか、カミロに告げたのだ。

そしてあの集まりの時の人々から改めれば、いずれこの日の本の国でも、わが子供達は跪くか、正座をして祈る事であろう。

私は急ぎここに来た。
カミロへの返答の為に…。

私はこの国の全ての子供達を祝福する。
✝️ 聖父と聖子と聖霊との御名によりて、アーメン。

又、御母があなたに指示を持ってくるであろう。
心穏やかに、そして苦しまず祈りの日々を送るように…。